鍛冶町の貼り紙跡
僕が子供の頃、それもかなり幼い頃だから、おそらく元号が変わる前だろう。
銀座や新宿の電柱や街灯には、大きな日の丸に時代がかかった大仰な筆文字で細かくびっしりと書かれた貼り紙がたくさん貼ってあった。
幼い頃の自分には、それが本当に戦前に貼られたもののように思えて、まるで大昔の亡霊が蘇ったような気がして、内心少し恐ろしかった。まだ漢字もそれほど読めず、何が書いてあるのかわからないので、呪いの文章か何かのように思えた。
まだ、かろうじて駅前に「傷痍軍人」と名乗る人たちが募金を求める姿が残っていた頃だ。考えてみれば当時でも相当の高齢のはずだから、本物だったのか否か、定かではない。でもその姿も、幼い頃の自分には異様に感じられて怖さを覚えていた記憶がある。
先日鍛冶町のあたりを歩いていた時、まだその貼り紙が残っていたところを見つけた。
銀座や新宿では、さすがに30年も経つと塗り替えられたり、建て替えられたりしてもはや残っているところはないと思う。なぜここだけ残っているのかはわからない。
もはや、ほとんど文字は読めない。
でも、この特徴的な貼り紙跡を見た時、幼い頃親に手を引かれて歩いた新宿のガード下や上野公園が、とても小便臭かったことを思い出す。
子供だから嗅覚が鋭かったり、背が低く地面に近いから余計そう感じたのかもしれない。
でも、歌舞伎町の路面は今よりもっと汚く、ちり紙とでも言えばいいのだろうか、紙くずが水に溶けて、アスファルトの隙間につまっていたことを今でもはっきり思い出せる。いまでも、築地市場の荒れた路面は当時の新宿や銀座、上野の雰囲気に似ている気がする。